容姿はセンター試験

人は何を持って、人に好意を抱いたり、はたまた悪意を抱いたりするのだろうか?
何を持って好きだと判断したり、嫌いだと判断したりするのだろうか?

僕はここではあえて「容姿」である。と言い切ってみたい。なぜなら、中身がわかるまで人は他人と関わっている時間がないからだ。裏を返せばしっかり関わってくれるほどお人好しじゃないってこと。興味がないやつには時間なんて使うはずもない。そりゃそうだね。

それじゃあ何を持って興味を惹きつけるのかというと、それがとりあえずは「容姿」になってくる。話したことない人に向かって「あの人いいひとだ」なんて言わない。みんなまずいうのはかっこいいだの可愛いだのそういうことだ。それはそれで生物としては正しい反応だ。

人は中身だという人の言い分ももちろん理解できる。というか僕もおそらく中身をしっかり好きになれないと一緒にいたいだなんて思えるわけもない。容姿が好きで付き合った子も何人かいたけれど、本当に小さなことでイライラしてくるし、そういうことが積み重なるとだんだん「こいつはブスなんじゃないか?」とさえ思えてくる。怖い。というかブスだ。

とはいえつまりは、(最終的には中身が大事だけどそれをしっかり好きになれるかどうかなんて時間をかけないとわからないものだから、とりあえずは)容姿が大事だよねってことになる。

え?わたしはそんなことないって?おだまり!おブスちゃん!

キミはキミの好きな人をすごくすごく深いところで好きになってその男の背中に惚れてるんだ!わたしは彼をちゃんと理解してるんだ!なめんじゃねえよ!っていうのかも知れないけれど、それは勘違いだ。そんなわけない。人が人を100%理解できるわけなんてないんだ。もしそう思ってるならそれはキミの思い過ごしだし、うぬぼれすぎだ。でも、そんなに落ち込まないで最後まで僕の話を聞いておくれ。

僕が言いたいのは、人を全部は理解できないし、興味がなければ理解しようとも思わないけれども、好きだからこそいろんな手を尽くして少しでも理解しようとするその努力する姿が美しいってことだ。それが恋してるということだ。

キミと彼との出会いを考えると心当たりがあるでしょ?わけのわからない全然タイプじゃない容姿になんの努力のかけらも見えないブタ野郎のことをわざわざ理解しようとするお人好しがどこの世界にいるだろうか?否、いない。

人を知るということはそれなりにいろんな経験をしないとなかなか身につかない力だ。しかも、その力を使うのはとても疲れる。よって一次試験である「容姿」を突破した人にだけ二次試験である「中身」が要求される。しかもその二次試験は試験官もとても疲れる実践による試験だ。そんなことを全員とできるわけがない。うん。そりゃそうだ。

・・・今日は何が言いたいんですか?

ーーーわかりません

・・・ブログの初日のアクセス1000件もいってないのにこんな気持ち悪い文章書いてどうするんですか?

ーーーお疲れ様でした

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